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いつの時代も「社員」の資質を活用した育成・マネジメントが重要!

 

 ある調査機関が以前20代~30代の若い社会人を対象に「今の仕事に満足していますか?」と言うテーマで街中でアンケートを実施したところ、実に半数の50%が「満足していない」と言う結果が出たと言います。

 確かに誰もがはじめは「これがやりたい」と感じた分野の知識やスキルの習得をめざし、それを武器に社会に飛びこんで行くわけですが、時が経つにつれてその仕事にやりがいを感じなくなり「仕事がつまらない」「他の仕事をやってみたい」と言う思いに至ることは良くあるでしょう。

 一昔前の時代では「石の上にも三年」の言葉通り「まずは我慢して一定期間やってみることが大事」と言う風潮だったのが、現代ではそう言った考え方はなかなか受け入れられない状況になっています。

 現代で言えば大手企業では一括して「新入社員」を採用し各部門に配属するのが基本になっています。又、「スケールメリット」から「キャリアパス」の一環として「部署の異動」や「配置転換」が比較的おこなわれやすい環境があります。

 しかし、「即戦力採用」「中途採用」が主であり「少数精鋭」でやっている中小企業では、そう簡単に社員にその気持ちがあったとしても、希望している部署に異動したり仕事の内容を大幅にかえることは容易にはできない環境にあります。

 これは「中小企業一筋」でやってきた私も強く感じていたことです。私は「管理部門」のマネージャーとして部下を持っていましたが、確かに「管理部門」の人員として採用したにもかかわらず「彼(彼女)は他の部署のほうがより能力が発揮されるんじゃないか?」と違和感をおぼえることが度々ありました。

 このギャップを埋めて社員が「やりがいを持って仕事をする」環境をつくるにはもちろん社員自身の「努力」もありますが、それと同時にマネジメントする側が社員1人1人の本来持っている「性格」や「資質」をしっかりと把握することが重要になります。

 それは日々の育成の中でコミュニケーションを活発にすることや仕組みによって見出していくことが重要ですが、トップや上司が日常から注意深く見守っていく気持ちがないと会社側、社員双方にとってミスマッチが長く続くことになりマイナスになります。

 私が当時所属していた会社は中小企業でありながら社員の「資質」を重視する風潮があり、違和感を感じた部下とは特に「仕事の満足度」や「今後やりたいと感じている」ことをヒアリングし、「管理部門」の社員として入社した者でも希望があれば「営業」や「業務」等の部署に異動してもらうようにしていました。

 それをすることで会社の雰囲気が非常に明るく活気が出た印象があります。社員の間で「自分のやりたい仕事ができる環境がある」と言う「前向きな希望」が見えたからでしょう。その後、この考え方が浸透し、異動することで社員が急成長したと言う事例が出てきたのでこれは1つの成功例と言えるでしょう。

 

信長が社員の資質を最大限活かして奇跡の勝利をおさめた「桶狭間の戦い」

 

 戦国時代にもこれとまったく同じマネジメント手法を取った武将がいます。それが「織田信長」です。

 信長は当時の「家格」にとらわれていた他の戦国大名に勝つための戦略として「人材の完全実力制」を導入しました。「能力があり結果を出せばどんな身分であろうと正当に評価する」と言う考え方です。この「織田株式会社」の人材戦略にフィットした形で秀吉は百姓の身分でありながら、メキメキと頭角をあらわしていきます。

 「完全実力制」をとったことから信長の家臣には実に多彩な人材が集まって来ました。当時の「営業」にあたる「戦」が得意な者もいれば「管理」にあたる「戦の後方部隊」が得意な者もいた訳ですが、信長は家臣1人1人の「資質」を良くとらえその本人が1番能力を発揮できる、結果を出せる部署に配置しました。まさに「結果重視」の信長ならではの合理的な考え方です。

 それが最大限発揮されたのがあの「信長の生涯の中で最大の危機」と言われる「桶狭間の戦い」です。当時、ようやく尾張(今の愛知県)を統一した信長を東の大国である今川義元(いまがわよしもと)が攻めて来たのです。

 誰もが「義元の圧勝」と予想していたこの戦いは皆さんもご存知の通り信長が勝利しその後の大躍進の第1歩となりました。

 この戦いの勝因は何だったのか?

 色々とある中でその1つとしてあげられるのが「資質に応じた人材戦略」だったのです。

 「桶狭間の戦い」で義元が敗北した原因は「少人数で休息をとっている際に信長に急襲され総崩れになった」からと言われています。信長はまさに兵力では絶対にかなわない今川軍にたいして、兵列が間延びし義元本隊が限りなく少人数になる一瞬をねらっていたのです。そしてその瞬間をつきとめ、信長に報告したのが梁田政綱(やなだまさつな)と言う家臣です。

 彼は「戦(営業)」よりもこう言った「情報収集」をすることに非常に長けた家臣だったと言われています。もし信長がこの政綱の「資質」に気づかずに「戦で戦功をたてる」ことを求め続けていたとしたら、この義元の居場所をピンポイントで知るチャンスもなく織田家は滅亡(倒産)していたかも知れません。まさに信長の「資質に応じた人材戦略」が功を奏したと言えるのです。

 又、信長の気持ちは戦後の「恩賞を与える」場でも良くあらわれています。信長は「この戦いにとって1番の戦功は義元の居場所を知らせた政綱である」と宣言し、戦場で活躍した家臣(営業)よりもより高い評価をしその結果に報いたのです。

 社員1人1人の「資質」を日々のコミュニケーションで把握し、それを最大限活かす人材戦略をたてる。ぜひ、社員1人1人が仕事にやりがいを感じ活気のある職場を作り、それが会社の経営成績にもつながっていく好循環を生み出していきましょう。