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「前から」「こうあるべき」「自分のやり方が一番」等にひそむ落とし穴

 

以前勤めていた会社でこんなことがありました。

部下のAくんとBくんが何か長時間話をしていて、その後上司である私に話しかけてきました。                                                                                     彼らいわく「ある資料の作りかたで意見が分かれているがどっちにしたら良いか?」と言うことでした。

Aくんは「もっと簡略的で良いので効率を重視しましょう」と、一方のBくんは「今まで通りしっかりとした物を作る必要がある」と双方の意見が真っ二つに割れており、上司である私に判断をあおぎに来たのです。                                                                                              部下の仕事が多いため、真剣に考えなければいけません。

私はいったんその件をあずかり、自分なりに考えてみました。                                                                                         冷静に考えると双方の意見が納得できます。                                                                                          「私が上司になる前から作っている資料で必要なものだから、Bくんの言う通り今まで通りしっかりと作るべき」と言う考えと、一方「とは言え作成に時間がかかっているので簡潔にできるところはすべき」と私は結論をどう出すべきか完全に迷ってしまったのです。

そんなある日、私はこちらのコラムで度々登場している受付の女性の同僚にこの件をぽろっとこぼしてしまいました。                                                                                                                              「どっちを取れば良いか迷ってるんだよね」と。その時、彼女はこう言ったのです。

 「そもそもその資料ほんとうに必要なんですか?」

その時私はあぜんとし、又、目の前がぱっとひらけた感じがしました。                                                                                                   そうです。私はその資料を「どう作るか?」にばかりこだわっていて、「そもそもその資料が必要なのか?」にまったく考えが及んでいなかったのです。

その後、私の上長に確認すると「確かにその資料はもらっているけど最近では役員会議では使っていない」と言う返答をもらい、部下たちに確認したところ「だって前から作っているので必要だと思っていました」と言います。                                                                                                                                                                   関係部署との関連性から考えても「特別必要とする資料ではない」と言うことが分かり、その資料の作成を廃止しても仕事に影響を与えないと判断し結果としてその資料を作ること自体をやめることにしました。

ここからも分かるとおり「以前から」「こうあるべき」と当たり前のように思ってしまっていたり、「自分のやり方」にこだわってしまっている時は注意が必要です。                                                                                              「考える」ことをやめてしまっているのです。

トップや上司は「慣例」や「自分のやり方」にこだわることなく、つねに視野を大きく持ち「これは本当に必要なのか?」「もっと他に方法はないのか?」と考える必要があります。「あたりまえ」「常識」をうたがう思考が必要なのです。

 

「あたりまえ」をうたがい続けた織田信長のすごさ

 

「天下取り」のレースの先頭を走ったあの織田信長は「あたりまえ」「常識」をうたがい続けました。

当時、家臣に与える恩賞(報酬)の主なものは「土地=領地」や「金銀」等でした。                                                                                                                                      しかしどちらも限りがある「有限」のものです。                                                                                                                                                   特に「領地」については、戦国時代に入り「戦」が多発したこともありバランスが取れていませんでした。                                                                                                                 つまり戦に功があった家臣に対して与える領地が無い状況が起きていたのです。

そこからある家臣の領地を返上させて他の家臣に与えると言ったことが起きてしまい、家臣の間でのトラブルの元にもなっていました。                                                                                                                                  金銀については採掘し尽くしてしまうこともあり、いずれも無限ではない限りあるものだったのです。

そこで信長は考えました。そして「第三の価値」を生み出しました。                                                                                                                    信長は当時流行になっていた「お茶」に目をつけ、「茶器」を高価なものに仕立て上げたのです。                                                                                                                                 彼によって高価な茶器は「1つの国」に匹敵するほどの価値にまで引き上げられました。                                                                                                                      茶器は良い土があればほぼ無限に作ることができます。                                                                                                          信長は世の中の価値観を変えることで「恩賞」と言う問題をクリアしたのです。

又、当時信長は急激な領土拡大にともないある問題をかかえていました。                                                                                                   「本拠をどこに置くのか?」と言う問題です。                                                                                                             当時の戦国武将の間では「本拠は先祖代々の地をはなれない」と言うのが常識でした。                                                                                                         しかしそれでは前線がどんどん伸びていく信長にとっては非常に不都合だったのです。

そこで信長は大きな決断をします。                                                                                           本拠を次々と移して行ったのです。                                                                                                               信長は地元の清州から始まり戦線に応じて清州→小牧→岐阜→安土と本拠を移して行きました。                                                                                                                          これはまさに「本拠は移すものではない」と言う当時の常識をうたがい、自国の状況に応じて実用性を重視した決断だったと言えるでしょう。

永続するものとして存在している「企業」では「慣例」や「常識」と言うものはどうしても生まれてしまいます。                                                                                   しかしそれにより「考える」「うたがう」ことをしなくなると気付いたら「手遅れ」と言う状況にもなり得るのです。                                                                                                           ぜひ「あたりまえ」をうたがい「革新」を生む思考を持ち続けてまいりましょう。