0%

「ホウ・レン・ソウ」をやり過ぎると部下や社員の成長はとまる!

 

以前、「ホウ・レン・ソウ」ができなかったことで国をかたむかせた九州の戦国大名、肝付(きもつき)氏のお話をさせていただきました。

肝付氏は「ホウ・レン・ソウ」がしっかりとできていなかったことで最悪の結果をまねいたわけですが、では逆に事細かに「ホウ・レン・ソウ」をすることが会社にとってベストなのでしょうか?

実はそれがそうでもないのです。                                                         すべての仕事について事細かな「ホウ・レン・ソウ」を徹底させることは実は色々な弊害を生むことになります。                                                               大きなもので言えば次の2点です。

1、トップや上司が対応する時間が自然と長くなり、やるべき仕事に手が付けられなくなる
2、すべてのことをトップや上司に「ホウ・レン・ソウ」することで、部下や社員は自分で考えて動くことをしなくなり成長がとまる

です。

私も若い頃、たくさんの書籍で「ホウ・レン・ソウが大事」と読んだことではじめて部下を持った時、部下に「すべてにおいて逐一ホウ・レン・ソウしてください」と指示を出しました。

するとどうなったのか?

 上司である私が判断しなくても問題のないものまで上がってくるようになったのです。

例えば「共有で使っている備品の置き場所」や「ファイリングの仕方」など、果ては当時は順番でお昼に行っていましたので「誰からお昼に行ったほうが良いか?」などまで。                                                                                         ありとあらゆるものが私まで上がってくるようになってしまいました。                                       これは冗談のような実話です。

当然のこと私の対応する時間も多くなり、自身がやるべき仕事になかなか手がまわらない状況になってしまいました。                                                                 その当時の私の口ぐせは「それくらいは自分たちで考えて」と言う言葉であり、部下は部下で「自分たちで考える必要はないな。全部上司に判断をあおげばいいんだから」と部下自身が考えることを完全に放棄してしまっていたのです。

「ホウ・レン・ソウは大事」と言う言葉を信じてやり始めた上記の流れですが、私は1度立ち止まって考えなおすことにしました。

「ホウ・レン・ソウ」を円滑におこないながら上司の私に過度な負担がかからず、又、部下が自分たちで考える状況をつくるにはどうすれば良いのか?この一見すると相反するものを両方取り入れるためには?

そこで私が考えたのは「段階ごとに分ける」と言うものでした。

具体的に言うと・・・

1、未来・考える系、会社の利益に直接影響するものは上司に「ホウ・レン・ソウ」
2、過去・作業系・会社の利益に直接影響しないものは部下が自分たちで考えて事後報告

としました。

1つ1つの仕事に規定をもうけたわけではなく、おおまかなこの枠内で部下たちに「自主的に考えること」を促したのです。

1については逐一私まで情報をあげるようにしてもらい、2については定期的に行っていた打ち合わせ時に事後報告してもらうように仕組みをつくりました。

その結果、非常に円滑にチームの仕事の流れが良くなっていきました。                                               もちろんすぐにではなく色々と試行錯誤をしながらではありますが効果が表れはじめたのです。

この仕組みをやり始めて1番良かったことは「部下が1と2を選別し、2については自分たちで考えて仕事が改善されていった」と言うことです。

2については上司である私よりも、より現場に近い部下たちのほうが状況を把握しています。                                                      例えば先ほどのファイリング等も私もファイリングはしますが、より多くやっている部下たちのほうが効率性についてはヒントを持っているのです。

結果、部下たちが自分たちで率先して「改善」の動きを見せるようになり、部下だけの打ち合わせの場も持つようになりました。

それはすなわち部下たちが「自分で考えて動く自律した社員」に成長したことに他ならないのです。

「それ、私が聞く必要があることか?」

 

この点を家臣に徹底させていたのが徳川家康だと言われています。

家康は以前のコラムでもご紹介しましたが、三河国(今の愛知県東部)の「松平氏(その後徳川に改名)」の後継ぎに生まれながら「地の利」(家康が生まれた当時は東に大国今川氏、西に急激に勢力を広げている織田氏がおり、はさまれている状態でした)にめぐまれず、幼少期から今川の人質となるなど不遇な生活を強いられました。

その後「桶狭間の戦い」で今川義元が織田信長に討ち取られたことで今川から解放され、晴れて「松平氏」の当主として国をおさめる立場になりますが、その時から家康が強く意識していたのが「家臣の自主性」でした。

まだまだ国内が不安定な中、周囲にはまだ武田氏や北条氏などの強国がある。                                                                           そんな状況で目指すべき国の形は「当主自分だけではなく、主だった家臣が自分で考えて動く強い自立型組織」だったのです。「いつ大国が攻めてくるか分からない。そんな状況で家臣が逐一自分にお伺いをたてるような弱い組織ではいけない」と判断したのです。

そこで家康が口ぐせのように使ったのが冒頭の「それ、私が聞く必要があることか?」と言う言葉でした。                                                                  できる限り家臣が自分たちで考えて結論を家康に持って来るような「仕組み」を作ったのです。

もともと家康の領地のある三河の武士は「三河武士」と呼ばれその特徴は自分の意見をはっきりと言う「自我の強さ」にありましたが、家康はその利点を更に強化することで他にはない「独自の強い組織」を作りあげたのです。

その後も家康の生涯は「苦難の連続」で「三方ヶ原の戦い(武田信玄に惨敗した戦い)」や「伊賀越え(信長が死んだ本能寺の変後に当時滞在していた堺より伊賀の山をこえて三河に戻った逃避行)」などでも家康は大きな危機をむかえますが、その度に自律した家臣たちに支えられなんとか危機を脱することができたのでした。

「ホウ・レン・ソウ」は大切。                                                             しかし完璧にしてしまうと「社員や部下の成長を阻害してしまう」。                                                                    そのことを肝にめいじ、「社員や部下が判断するもの」のラインを決めてぜひ社員や部下が自分で考えて動く「自律した人材」に成長するよう「仕組み」をつくってまいりましょう。