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戦国一の「転職王」8人の主君(上司)を渡り歩いて乱世を生き延びた藤堂高虎

2020年3月10日

「7度主君を変えねば武士とは言えぬ」

 

 今回は「番外編」としてある特徴のある戦国武将の一生から学ぶ「世渡り術」のお話をご紹介させていただきます。

 その武将は「藤堂高虎(とうどうたかとら)」です。

 現代は終身雇用制度がほぼ崩壊し転職が当たり前になっています(とは言っても大手や大企業では入社後→定年までと言う流れは少なからず残っていますね)。

 特に私が一貫して働いていた中小企業ではその動きはもはや普通になっています。

 私のお客様の会社でも社員の割合としてはほぼ「中途入社」だと言うところもあるくらい現代の中小企業は人材が流動的になっています。

 かく言う私も20年のサラリーマン人生の間、数回転職をしました。

 私の場合は上司や会社の同僚といわゆる「馬が合わない」からではなく自分の可能性を広げるスキルアップが主な理由でしたが、そこは一貫して持っていた価値観だったのです。

 そして時代は変わって戦国時代

 たくさんの戦国武将が自らの命をかけて生き残るために決断し動いた時代です。

 一寸先は闇、選択を1つ間違えたら最悪な場合死に直結と言う厳しい時代です。

 実は良く言われる「武士は生涯をかけて1人の主君に仕える」と言う考え方は平和な世の中になった江戸時代から始まったもので、その前の戦国時代は自分の能力を高く買ってくれる主君を求めて諸国を渡り歩くのは当たり前の時代でした。

 そんな中でも群をぬいて突出しているのが冒頭でご紹介した藤堂高虎と言う戦国武将です。

 彼はなんと7回も転職し、8人の主君を渡り歩いているのです。

 ひととおり主君の名をあげますと・・・(各主君の経歴は割愛させていただきます)

① 浅井長政(あさいながまさ)
② 阿閉政家(あつじまさいえ)
③ 磯野員昌(いそのかずまさ)
④ 津田信澄(つだのぶずみ)
⑤ 豊臣秀長(とよとみひでなが)
⑥ 豊臣秀保(とよとみひでやす)
⑦ 豊臣秀吉(とよとみひでよし)
⑧ 徳川家康(とくがわいえやす)
※更に二代将軍、秀忠(ひでただ)→三代将軍、家光(いえみつ)とつづきます。

 高虎は生涯でこれだけの主君のもとを渡り歩いているのです。

 更にすごいことに彼は近江(現在の滋賀県)の生まれですが、当時の藤堂家は戦乱の中で没落しており農民の身分にまで身を落としていました。しかしそんな逆境の中高虎は転職を繰り返しながら最終的には伊勢(現在の三重県)の32万石を領する大名にまで上りつめたのです(それは仕えた主君が徐々にビックネームになっていることからもうかがえます)

 まさに「転職の成功者」と言える高虎の人生ですが、その成功要因は何だったのでしょうか?

ある1つの「専門スキル」が高虎のキャリアを押しあげた!

 高虎は当時の成人男子の身長が150センチ前後だったと言われる時代に6尺2寸(約190センチ)の大男だったと言われています。

 その恵まれた体格を武器に高虎は武士の本分である戦場での働きで手柄をたてていきます。

 しかし彼のすごいところはそこではないのです。

 確かに戦場での軍功も多いことながらそれと同等に優れていたのが「築城」のスキルでした。

 築城の経験は5人目の主君(上司)である豊臣秀長(秀吉の弟)から教わったのが最初と言われています。

 これは高虎にとっても非常にタイミングが良かったと思われます。

 世の中は秀吉の「天下統一」が実現する雰囲気になってはいたもののいまだ「戦」は国中で続いており防衛拠点としての「城」が非常に重要だったこと、そして平和な世の中に移るに連れて「城」が「戦のための城」から「権力の象徴=魅せる城」になり、続けて重要視された背景があったからです。

 高虎は「築城技術」を「学問」としてではなく、自身が実際に作ることで実践的に身につけていきました。

 彼が手掛けた城は自身の居城として使用した宇和島(うわじま=愛媛県)城や今治(いまばり=愛媛県)城、津(つ=三重県)城などがあり、主君たちから命をうけて京都聚楽第(きょうとじゅらくだい=京都府)や江戸(えど=東京都)城、大坂(おおさか=おおさか)城など数えきれないほどの築城にたずさわっているのです。

 まさに磨きつづけた「築城のスキル」が彼のキャリアップに貢献したのです。

 「良い仕事をするから他からもたのまれる」「仕事が仕事をよぶ」と言う非常に良いサイクルが機能していたと言えます。

 家康からは「国に大事があるときは、高虎を一番手とせよ(なにか困ったことがあったらまずは高虎に相談するように)」と秀忠に言い残したと言われています。

 見てのとおり高虎は家康には人生後半に仕えており長年の主君でないにもかかわらず絶大の信頼を得ているのです。このことからも人の信頼と言うものは「転職した回数ではかられるものではなく、ひとえにその仕事ぶりによる」と言えるのです。

 高虎の生涯から言えることは「徹底した1つのスキルが自身の生涯をささえる」と言うことでしょう。

 現代も戦国時代と同じく先行きが不透明な時代になっていると言っても言い過ぎではないでしょう。ぜひ高虎の人生を参考に色々と模索をしながらも1つの道をきわめることで周囲から信頼を勝ち取り自身の人生を切りひらいてまいりましょう。

 

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