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社長や管理職が第一にやるべきこととは?
私が関わらせて頂いている中小企業の社長様から良くお聞きする言葉の1つに「会社が大きくなるにつれて自分の仕事も増えて手が回らない」と言うものがあります。聞けば「日々の通常業務に追われている」とのこと。
会社設立から社長が強力なリーダーシップを取ってひたすら頑張ってきたその先、会社の成長が止まる時があります。売上規模で言うと年商4~5億円辺りが多いと言うデータもあります。その原因はどこにあるのでしょうか?
その1つに社長や管理職が1から10までのすべての業務に関わってしまっていることがあげられます。設立時は業務も社員数も少ないことでそれでも会社が機能していたものが、業績が順調に伸びて来ると機能不全になってしまうと言うものです。
言いかえると「戦略」と「戦術」をごっちゃまぜにして社長や管理職がすべてやってしまっている状況です。1つ1つの業務に対して関わらないと気がすまない、そんな状況にはなっていないでしょうか?
実は私もそう言った失敗を経験しました。当時の私は5人の部下を持つマネージャーでしたが、部下の1つ1つの業務にまで口を出し報告を受けなければ気がすまないと言う状態で仕事をしていたのです。当然のごとく、自身のやるべき仕事は限りなく増えキャパオーバーの状態が常態化していました。
「戦略」と「戦術」を分けることに成功した織田信長の「方面軍制度」
そんな時に思い出したのがかつて読んだ織田信長の「方面軍制度」です。あの信長も上記のような経験をしています。尾張(現在の愛知県)を統一することから始まった信長の事業はその後美濃(現在の岐阜県)を攻略し、足利義昭を奉じて京に上洛したことから領土も売上規模も急拡大していきます。
かく言う信長も1から10まで全てを自身が把握していないと気がすまないある種「ワンマン経営者」的な性格があり、尾張・美濃の2か国を治める程度の規模の時はその強力なリーダーシップが良い方向に活かされていましたが、前述のとおりどんどん領土が大きくなるにつれて組織の内部は機能不全になっていったようです。
そこで信長は一計を案じます。自身の経営理念である「天下布武(日本を統一し戦のない世を作る)」を達成するためにはどうすればよいか?そこで出てきたのが「方面軍制度」です。
この「方面軍制度」とは優秀な6人の家臣に各方面の攻略を任せると言うものです。具体的には柴田勝家を「北陸方面軍」、佐久間信盛を「大阪方面軍」、羽柴秀吉を「中国方面軍」、明智光秀を「機内方面軍」、息子の信孝を「四国方面軍」、そして滝川一益を「関東方面軍」に任命し、各方面の攻略を全面的に司令官に一任しました。
信長はこの時点で自身の業務範囲で不明確だった「戦略」と「戦術」を明確に分けたのです。つまり「戦術」は各方面軍司令官にまかせ、自身は「戦略」を作ることに専念することにしたのです。その一例が「楽市楽座」の振興、「土地」から「貨幣」への価値観の転換など天下布武達成後の日本を見すえた政策を推進するようになって行きます。
今まで全てにおいて関わっていた業務を家臣にまかせる。例えば秀吉はそれにより中国攻略の方法として「三木の干殺し」「鳥取の飢え殺し」「高松の水攻め」と言ういわゆる「秀吉の三大城攻め」を実行しています。これは殺戮を好まない秀吉が信長からの「戦略」を受けて独自に考え出した「戦術」と言えるでしょう。
社長や管理職が第一にやるべきことは「戦略」をつくること。会社の未来は社長や管理職が「戦略」を作ることで見えて来ます。最初は社長や管理職が先頭に立ってリーダーシップを発揮する。そしてその状況がひと段落したらその後は「考える」ことを専業とする。「戦略」と「戦術」を切りはなし、社長や管理職にしかできない仕事である「戦略」作りに重点を置いて行きましょう。