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「逆算」で最終的な天下人になった徳川家康の考え方

 

 私が仕事をしている中で良く社長様や管理職様からお聞きする言葉に「社員が成長しない」と言うものがあります。その時私はこのような質問をさせて頂くことがあります。「目指すべきゴールが具体的に見えていますか?」「そのゴールを社員の皆さんとしっかりと共有できていますか?」と。

 社員が成長しない理由の1つに「成長した先に何があるのか分からない」「成長することで自分にとってどんなメリットがあるのかが分からない」と言うものがあります。人はゴールのない努力や成長にはやはり気持ちが入りませんし、「継続」と言う点でも限界をむかえてしまいます。

 これはかつてマネージャーだった自分が部下にたいしてやってしまった「失敗」として今でも残っている経験の1つです。当時私は自分も含めて部下のスキル不足を痛感していて、自分のマネジメント不足に悩み、何とかして「部下のスキルを底上げしなくては」と躍起になっていました。

 当時5人いた部下の性格や特性はその前から詳しく把握していたので、「打つべき手」は的確に行うことは出来ました。しかし、部下はそれで私と気持ちを一にして努力してくれることはありませんでした。「どうすれば部下が成長してチームが良い方向に向かって行くのか?」と必死に考えましたが答えは中々出て来なかったのです。

 

「目指すべきゴール」から足りないものを導き出した家康の組織構築術

 

 そんなある日、ふらっと訪れた書店で興味を持って手にしたのは「徳川家康の天下取りへの考え方」をまとめた本でした。その以前から家康に関する本は何冊も読んでいましたが、改めて家康の天下取りへの考え方を知ることでその時の自分の置かれている状況を打開する方法を知ることが出来たのです。

 それは「逆算」の考え方です。当時の私には部下のスキルを「底上げ」することしか頭になく、「何のために」「最終的なゴール」「あるべき姿」「それを達成することでどんなメリットがあるのか」と言ったものが明確に浮かんでいなかったのです。それは同時に「ゴール」と「現状」の比較が出来ていないと言うことを表していました。マネージャーである自分がその点を描けていないのですから当然部下には伝わっていなかったのです。

 「目指すべきゴール」から足りないものを導き出すことをせずに、単に「現状のチーム力」からの「底上げ」を目指していただけだったのです。

 あの家康がなぜ最終的な天下人になることが出来たのか?この答えはここにあります。家康が徳川幕府を開いたのは1603年、色々と考え方はあると思いますが、彼が「天下」を意識し始めた1つに織田信長が本能寺で倒れた1582年頃と言う考え方があります。

 実に20年かかっているのです。その理由は皆さんのご承知のとおり秀吉の存在があったからですが、家康の頭の中には「幕府としてのあるべきゴール」があり「現状から逆算してまだ動くのは今ではない」「現状とのギャップを埋めなければ勝負にならない」と言う結論に至ったのです。

 その間家康は「逆算」をすることで足りないものを導き出し、それを充足する行動を続けました。「力」が足りないので秀吉と争うことをせずに「次」を見すえて表面上で頭を下げ、秀吉になくてはならないブレーンとして力をつけて行きました。又執務をおこなう「拠点」、これは思いがけず秀吉によって当時何もない田舎だった「江戸」に所領を移されましたが、それを前向きにとらえて一から時間をかけて町づくりを行っていきました。

 更に特筆すべきはやはり「人」です。家康による「人材の登用」で重点を置く人材がこの20年で明らかに変化しました。「戦の時代」から「戦のない時代」への変化を読みとり、戦で手柄をたてる部下から内政に優れた部下をより重用する戦略にシフトチェンジしたのです。

 これはまさに家康が目指す「戦のない平和な時代」を実現するために「逆算」し「足りないもの」を充足したと言うことになります。あせらず、着実に手をうって行くことで家康は最終的な「天下人」になることが出来たのです。余談になりますが、幕府開府後更に13年をかけて豊臣家を滅ぼし完全に「戦乱の時代」を終わらせたこともまさに家康らしい戦略だと言えるのです。

 会社のトップや上司として目指すべき会社やチームの具体的な「姿」を思い浮かべ、それを現実にするためには「何が足りないのか?」を細かく洗い出す。そして現状の社員の状況と照らし合わせて、そのゴールに向かってより具体的な計画をたて実行して行く。ぜひ家康が天下を取った「逆算」の考え方で会社の未来、社員の成長に向けて進んでまいりましょう。