必要以上に「上下関係」を感じさせない職場環境が社員のモチベーションを持続させる!
私が30代前半で初めて役職をいただいた時のことです。 当時いた会社で初めて「課長」職をいただき、3名の部下を持つことになりました。 中小企業ですので「総務課」と言う「経理」「総務」「人事」を全て兼ね備えた、言ってみれば「裏方の何でも屋」のようなポジションです。
当時私は何だかんだ言っても初の役職と言うことで本当にモチベーションが上がったことを今でもおぼえています。 そう言うこともありかなり気合いが入っていたのですが・・・。
その気合いが裏目に出てしまいました。 当時の部下はいずれも20代の男性1名、女性1名、派遣の女性1名の3名でした。
私がやってしまった失敗はいわゆる「役職風」を吹かせてしまったことです。 それまではその3名とは同僚として協力し合い、チームワークを重視してやっていました。 非常に良い関係を築け年長者としても頼られていたのですが、私が役職を受けたことでその関係は見事に崩れてしまったのです。
1番の失敗はそれまでの双方向のコミュニケーションが無くなり、私からの一方的な通達による仕事の進めかたに変えてしまったことです。 しかも私はそれが「役職を受けた者のリーダーシップのあり方」と思いこみ、その結果チームの中でだんだん孤立して行くことになります。
そんなある日、受付の女性社員と立ち話をしていた際に言われた1言に非常にショックを受けることになります。 部下の派遣の女性が「課長は役職についてから変わってしまった。あの人の下で仕事をするのは本当にいやだ」とこぼしていたと言うのです。
正直とまどいました。 「責任を持ってやっているのに何でそんな風に言われるんだ?」とはじめは腹もたったのです。 しかし、そんな時に思い出したのがのちほどご紹介する毛利元就の「唐傘連判」のエピソードです。
彼ら3名は私と一緒に仕事をすることで業務能力も向上し、自分なりの仕事のやり方を発展させて行く段階にいました。 以前ご紹介した「守破離」の「破」の段階に入っていたのです。
「守」-教えられたことを実行し、身につける
「破」-「守」で実行したことに自分なりの応用をきかせる
「離」-自分のオリジナリティに発展させる
(注) あくまで会社の「戦略」の上での「戦術」の応用であるため、「戦略」から離れてはいけない
私がやろうとしていたことは「破」をこれからやろうとしている部下に対して、再度自分のやり方での「守」を守らせようとしていたのです。
そこで私は「リーダーシップ」から「フォロワーシップ」へマネジメント手法を変えました。 部下3名の自主性を引き出す方向にシフトチェンジしたのです。
1、部下に「課長」と呼ぶことをやめてもらい「さん」付けにしてもらった
2、自分のやり方を押しつけるのではなく、意見や提案を求め責任の範囲で自由にやってもらった
3、何かを決める際ははじめに部下全員に発言をしてもらい、まずは部下だけで方向性を決めてもらうようにした
主だったものはこう言ったことになります。
これを続けることで私と部下の間にあったわだかまりは徐々に解消され、良い関係が構築されて行きました。 部下からすれば私が上司であることは分かっているのです。 ただし部下の成長の度合いにもよりますが、この段階になると上下関係の壁は出来るかぎりうすくしたほうがより良いチームになります。
上司が「存在」を示す時は「部下が求める」時だけで良いのです。
他国を吸収し、トップを家臣にむかえた事でたどりついた毛利元就のマネジメント手法
戦国武将の中で同じ状況に直面したのが「中国の雄」の毛利元就(もうりもとなり)です。
彼は中国地方の安芸国(今の広島県)に生まれました。 当時の安芸はまだ統一されておらず、国人(現在で言う市長)と呼ばれる小領主たちがひしめき合う地でした。 毛利氏もその国人の1つに過ぎず、いわば零細企業だったのです。
そんな毛利氏を元就はわずか一代で安芸を統一したばかりか当時の周辺の2大大名だった西の大内氏・東の尼子氏をも飲みこみ(ここでの戦略についてはまた改めてご紹介させていただきます)、中国地方を全て制覇する偉業を達成しました。
言ってみれば零細企業が大企業へと急成長した形です。
しかしその際にある問題が生じました。 それが今回のテーマである「上下関係をどう規定するか?」と言うことです。
と言うのも毛利氏が急激に成長することで周辺諸国が傘下に入ることになりました。 つまりその国でトップだった(更に言えば大名クラスの大内・尼子からすれば格下の毛利に)面々が元就に頭を下げる形になったのです。
その際に元就が採用したのが今回の「唐傘連判(からかされんばん)」の仕組みです。
「唐傘連判」と言うのは1枚の紙に円形になるように放射線状に1人1人が署名すると言うものです。 現代で言うと「送別会」等でやる「寄せ書き」に近いものです。 この「唐傘連判」の特徴は「上下関係の優劣がつかない」と言う点です。 この「唐傘連判」が良く利用されるようになったのは近世に多発した「百姓一揆」の時だと言われています。
当時の一揆では、鎮圧された場合首謀者が処刑されて終わらせることが多かったことから百姓たちの間で使うことが広まったと言われています。 つまり、この「唐傘連判」を使うことで「百姓たちの気持ちを1つにする」ねらいと「首謀者が誰であるか分からない状態にする」ねらいがあったと言われています。
元就も新しく国人領主たちが毛利に下った時にこの「唐傘連判」で毛利の家臣も一緒に署名したと言われています。 元就は「形式上、私がトップなだけであって本質は上下関係の優劣は存在しない」ことをこの「唐傘連判」でアピールしたのです。
そうすることで毛利に下った多くの家臣の能力を活かし切り、更に毛利氏の成長につなげることに成功しました。 まさにこれは元就が「トップ」と言うことに必要以上に固執することなく、フォロワーにまわったことで非常に良い関係を築けたと言えるでしょう。
社員や部下のスキル・能力を活かしチーム・会社を成長させることがトップや上司の役割です。 そのためには状況によっては上下関係の壁をなくすことが必要になる時があります。 ぜひ、状況に合わせて社員や部下が活き活きと仕事ができる環境を作ってまいりましょう。