平等に機会をもらい、公平に評価されないと人のモチベーションは低下していく!
私はスキルアップを求めて何度か転職をしましたが、一貫して20年近くいわゆる「ブラック」と呼ばれる中小企業で仕事をしてきました。 社員数も20名から多くても100名規模の会社です。ひたすら「中小企業」を経験して来ております。
所属していたのはこれも一貫してバックヤード部門です。 学生時代に簿記の資格を取得していたことからはじめは「経理」として入社。 もちろん「大手企業」のような一斉採用などなく、私のキャリアのスタートは「経理」の欠員補充からだったのです。
「金なし、人なし、時間なし」と言われる「中小企業」。 もちろん余剰人員などおらず、20年間ほぼ定時に帰ったことはありません。 いくら改善しても次から次へと降りてくる仕事。 毎日21時過ぎまで仕事に明け暮れる日々。 休日出勤もざらにあります。
それでも報酬は「年棒制」の名のもとに残業代も賞与も出ない(私の中では賞与は無いものと認識していました)と言う状態。おかげさまでお金を使う時間がないため、貯金は増えていきました。
でも仕事はほんとうに楽しかったのです。
それは分野外のことをやる必要にせまられる日常だったからです。 挑戦できる場があったのです。 先ほどの欠員補充で入社したはじめの会社ではすぐに経理だけではなく総務、人事その他バックヤード全般の統括をする立場になり、毎日のように社長と自分なりにですが会社の経営について話し合っていました。 本当にいろいろな経験をさせていただいたことは感謝の言葉しかありません。
そんな中小企業での仕事は「成長」「変革」を望む私には非常に向いていたのですが、ただ1つだけ不満がありました。 それは・・・
機会はある程度平等に与えられているが、評価は営業部門とバックヤード部門では決定的にちがう
と言うことでした。
ここで「平等」と「公平」に軽くふれますが、辞書ではこのようになっています。
平等-片寄りや差別がなく、みなひとしいこと
公平-扱いが平らであること
例として子供の「徒競走」をあげると「スタートはみな同じ位置から平等に走り始めるが、ゴールは順位の優劣が公平にされる」と言うことになります。
つまり私のなかで「バックヤード部門も改善等で結果を出しているのに評価が公平でない」と言うくやしさがあったのです。 数字でしっかりと提示できる「営業部門」とどんなに努力して「改善」しても数字であらわすことがなかなか難しい「バックヤード部門」が公平に評価されない現実。
それはたとえばある一定期間をもうけ1つ1つの仕事をすべてリスト化し、どう改善されて行き、それによりどれだけの「時間の短縮」「人件費の軽減」「スキルアップ」等につながったのかを「見える化」することによって「公平な評価」がされるようになって行きました。
と同時に後に部下を持つ身となった時には「バックヤード部門」だからこそ、部下1人ひとりのちょっとした変化・成果を見のがさずに「公平に評価」すると言う意識が私の中に芽ばえて行き、それが「個別マネジメント」を心がけるきっかけとなって行きました。
社員や部下は思いの強さの差はあれど、誰もが「平等に機会をもらい、公平に評価される」ことを望んでいるのです。 特に地道な仕事が多いがなくてはならない存在である「バックヤード部門」に光をあてる企業は正しい経営をおこなっていると言えます。 特にこれは営業からトップになられた社長様には強く望むことでもあるのです。
ベテラン・若手関係なく平等にチャンスをあたえ、公平に評価をした豊臣秀吉
この点で参考になるのは「人たらし」と言われた天下人の秀吉です。
私のプログラムの根幹になっている「戦国の三英傑」の信長・秀吉・家康の3人のうち、ここが1番すぐれていたのが秀吉と言えます。 それはなぜかと言うと「秀吉だけがサラリーマンとしてトップまでのぼりつめた人物」だからです。 秀吉は自分の経験上から「どうすれば人がやる気を出して仕事をすることができるのか」身をもって体得していたのです。
秀吉は自分が信長の部下の時代に経験したことをもとに部下の育成・マネジメントにあたっていきました。 その1つが今回の「機会は平等に、評価は公平に」です。
秀吉は信長の死後から天下人にのぼりつめるまでの1番きつかった時、実に多彩な部下をマネジメントしています。 まさに尾張の時代からの部下で年齢的にもベテランの蜂須賀小六(はちすかころく)や弟の秀長、そして血気さかんな若者の加藤清正(かとうきよまさ)や福島正則(ふくしままさのり)などバラエティーに富んだ部下を実によくまとめているのです。
例えば信長の後継者争いとして柴田勝家(しばたかついえ)と戦った「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」。 この時秀吉はベテラン勢だけではなく、まだ経験は浅いがやる気のある前述の加藤清正や福島正則らを戦場の前線に送り出し活躍の場をあたえました。 この時の彼らの勇猛ぶりは後に「賤ヶ岳の七本槍」として後世に語りつがれますが、清正たちは「まだ若造の自分たちに機会を与えてくれた」と大いに気持ちがふるい上がったことでしょう。
更に秀吉は賤ヶ岳の戦いの勝利後の恩賞(報酬)の査定で、しっかりとその査定の根拠を述べながらこの若者7人の成果と働き具合によって明確に恩賞に差をつけ公平に評価をしたのです。 この査定にくやしいながらも納得をした7人はこの後、お互いにライバルとして切磋琢磨しながら成長し、秀吉の天下取り事業に大きく貢献していきました。
人は誰もが「認めてもらいたい」と言う気持ちを持っています。 トップや上司はその気持ちにこたえ、かたよりのない平等な機会と公平な評価を社員や部下にあたえる責任があるのです。 ぜひ「機会は平等に、評価は公平に」を心がけ、社員全員がやる気にあふれ活気のある職場を目指してまいりましょう。