「自分はトップ(上司)だからいいだろう」の甘えを部下はしっかりと見ている!
私は27歳ではじめて部下を持ちましたが、その時から一貫して意識的にやってきたのが「あいさつ」です。 それまでに読んでいた書籍の中にことごとく出ていたのが「あいさつはコミュニケーションの第一段階」と言うことだったからです。
その考え自体は否定的見解もなく自身の経験からも「そのとおり」と思えたので、部下にたいしての「はじめのコミュニケーション」として取りいれたわけです。
部下にたいして「あいさつをなぜしっかりとしたほうが良いか?」を説明し、現役時代に受け持った部下にはほぼ同意を得ることができました。 又、それにより部下との距離がグッと近づいたことも常に実感していました。 何よりお互いにあいさつをすることで存在を認めあうことが出来たのですが、それを定着させ当たり前の状態にするのは非常に苦労したことを今でも思い出します。
その点についての詳細は又後日の別のコラムにて書かせていただくとして、その苦労の1つが、私自身が「めんどうくさい時がある」のです。 やる意味、やったことでの気持ちの良さは分かってはいるものの、特に朝は寝不足だったり、その前日に嫌なことがあってまだその状態を引きずっている時など気持ちよくあいさつをできない原因はひんぱんに起こります。
そんな私はついついあいさつをさぼってしまうことが多々ありました。 その時の自身に対する言い訳が冒頭の「自分はえらいから、上司だから」と言う「上から目線」の身勝手な論理です。 「自分だけはやらなくても大丈夫だろう」と言う完全な甘えです。
しかし、それをすることで私はその度に思い知らされました。 それは「トップや上司である自分が決めたことを守らないと社員や部下も守らなくなる」と言うことです。
私の甘えを部下はしっかりと見ているのです。 「今日くらいは」「私は上司だから許されるだろう」と言う気持ちを部下はしっかりと見ぬき、そして「上司がやらないなら自分もやらなくていいや」と悪い方向にその度に甘えは必ず伝染しチームがくずれて行くのです。
その痛い経験から「めんどうくさがり」の性格もありながらもサラリーマン時代にはなんとか「あいさつ」を部下とやり続けてきました。 毎朝、オフィスビルに入る前に「よし、今日も1日気持ちよくあいさつをしよう!」と毎日自分に気合いを入れたものです。 そしてそれをすることが部下との「第一段階のコミュニケーション」としてより良いチーム、環境を作ることができた要因の1つであることは間違いありません。
と同時に全員で決めたルールは誰であろうと、特に力が強いトップや上司だからこそ率先して守らないと社員や部下との信頼関係は簡単にくずれてしまうと実感したのでした。 トップや上司であるあなたは「自分だけはやらなくても」とつい自身を「特別あつかい」していませんか?必ずその自分への特別扱い・甘えを社員や部下は見ているのです。
「今まで定めたことはまず私自身が守る!守っていない時は遠慮なく申し出よ!」
この点で学ぶべきリーダーシップを示した戦国武将がいます。 武田信玄です。
信玄は1541年に家臣のクーデターにより武田家の当主に就任しました。 父である先代の信虎(のぶとら)を国外に追放したのです。 その理由は諸説ありますが、1つには信虎が家臣や民百姓をかえりみずに戦にあけくれ、国が疲弊したことにあると言われています。
家臣と「命の源」である民百姓に明確に「ノー」を突きつけられた父の姿を見て信玄は思うところがあったのでしょう。 「家臣と民百姓の信頼を得られなければ良い領国経営はできない」と痛切に思い知らされたのです。
そこで信玄はその2年後の1543年に分国法「甲州法度之次第(こうしゅうはっとのしだい」を制定しました。 分国法と言うのは「戦国家法」とも呼ばれる「戦国大名のつくった法律」です。 他には今川家の「今川仮名目録(いまがわかなもくろく)」や伊達家の「塵芥集(じんかいしゅう)」などが有名です。
信玄の定めた「甲州法度之次第」は法律の段の上段55条(のちに追加されて最終的には57条)と家訓の段の下段99条からなるものです。 有名な条文には「喧嘩両成敗(家臣がけんかをした時はその理由を問わず両者を等しく罰すると言うもの)」等がありますが、主には家臣や民百姓に向けての「~してはならない」と言う「決まりごと」です。 会社で言う「就業規則」のようなものと言えます。
そんな信玄の定めた「甲州法度之次第」。 先ほどあげた他家の分国法と明確に違う点が1つあります。 それはこんな条文があるのです。
55条
晴信、行儀其の外の法度以下に於て旨趣相違の事あらば、貴賤を撰ばず 目安を以て申すべし。時宜に依って、其の覚悟すべきものなり。
簡単に現代風に言えば
「これまでの法度は当主である私も守るべきものである。もし法度にそむいている動きがあれば身分を問わず私に申すように。その時は責任を持って改善する」
となります。
つまり信玄は最後の条文にわざわざ「当主であってもこの法度に拘束される」ことを明確に定めているのです。
ここからこの法度に対する、又「家臣と民百姓の信頼を得るために真剣に彼らと向き合おう」と言う覚悟が見て取れます。 信玄自身も「自分は当主だから」と言う甘えが出ることを戒めるためにあえて明文化したのかも知れません。
実際に信玄がこの法度に違反した動きをした場合には、家臣から指摘があり、それにより改善するよう努力したと言われています。 その信玄の「トップは特別ではない。トップだからこそ模範をしめさなければいけない」と言う思いが家臣や民百姓に伝わり、信玄時代の武田家は見事に団結のある強い軍団として他国に認められるようになっていったのでした。
「たかがあいさつ」「それくらいは自分はしなくても良いだろう」と言うトップや上司の考えを敏感に部下はキャッチします。 その必要性は分かっていても「上がやっていないならやらなくていいだろう」と言う空気がチーム力を落として行くのです。 ぜひリーダー自らが模範を示す行動をとり、社員や部下との信頼関係を高めてまいりましょう。